「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様には月参り」
古より「蟻の熊野詣」と呼ばれ、多くの人が山道を通り、川を渡り、大変な思いをして熊野を目指したそうです。
古来からの聖地として、また黄泉の国と接する場所として、今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者が訪れる神社です。
日本書紀で「国産みの舞台」として登場する神社で、日本最古の神社と言われています。
花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)をご紹介します。
あなたも足を運んでみませんか?
鎮座地
紀伊半島熊野地方。
熊野三山とそこへ通じる参詣道を中心に自然と信仰が織りなすいろいろな観光スポットがあります。
山越えの巡礼者も七里御浜が見えるとほっとしたとのこと。
花の窟神社は美しい七里御浜に面して鎮座します。
住所:三重県熊野市有馬町上地130の3
駐車場
車は、「道の駅 熊野・花の窟」に止めれます。
大きくて、止めやすい駐車場です。
花の窟神社
道の駅 熊野・花の窟の駐車場から参道に入れます。
木々に囲まれた参道は清々しく心地よいです。
手水は竹で龍の水口があしらわれておりました。
コロナ禍、柄杓が使えないからというはからいも嬉しいです。
社務所のある参籠殿(さんろうでん)を抜けると、一気に天が開け、御神体、伊奘冉尊が鎮座する花の窟の大きな一枚岩が目の前に現れます。
御祭神
伊奘冉尊(イザナミノミコト)
伊奘諾尊(イザナギノミコト)と国や神を産み、神々の母と称される伊奘冉尊。
日本書紀では伊弉冉尊,『古事記』では伊邪那美命と記されている。
日本神話の大地母神であり、人間の寿命を司る黄泉津大神でもあります。
「火神を生む時に、灼かれて神退去りましぬ。
故、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。
土俗(くにひと)、此の神の魂を祭るには、花の時には亦花を以て祭る。
又鼓吹幡旗を用て、歌ひ舞ひて祭る。」
高さ約45メートルの巨岩である盤座(いわくら)が御神体です。
この窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったが故に花窟との社号が付けられたと考えられるそうです。
古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体とし、その下に玉砂利を敷きつめた祭場があります。
圧倒されるような巨大な御神体を見上げていると、御陵ではあるけれど、神聖かつ迫力満点なパワーとやわらかい、優しい氣を感じます。
軻遇突智尊(カグツチノミコト)
日本書記では軻遇突智(カグツチ)、火産霊(ホムスビ)と記されている。
伊弉冉尊の御神体と対面するように鎮座しています。
高さ18メートルの巨岩が軻遇突智尊の御神体となります。
伊弉冉尊も軻遇突智尊も白玉砂利は靴を脱いであがり参拝をします。
花の窟の巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすとも言われともに熊野における自然信仰と言われています。
世界遺産
2004年(平成16年)に、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
詠まれた歌
花の窟神社や熊野三山を詠まれた歌もいくつかあります。
本居宣長
「紀の国や花の窟にひく縄の ながき世絶えぬ里の神わざ」
徳大寺公能(大炊御門右大臣)
「紀の国や有馬の村にます神に 手向る花は散らじとそ思ふ」
西行
「三熊野の御浜によする夕浪は 花のいはやのこれ白木綿(しらゆう)」
光俊朝臣
「神まつる花の時にやなりぬらん 有馬の村にかかるしらゆふ」
伊弉諾尊と伊弉冉尊の三貴子
参籠殿の社務所の反対側の室には、伊弉諾尊と伊弉冉尊の三貴子
天照大御神
月読命
素戔嗚尊
のみなぎる氣であふれています。
陶器のかわいいおみくじ
ここ数年、陶器のかわいいおみくじが増えました。
花の窟神社にも2023年の干支・うさぎのおみくじ、
「開運厄除」の桃の形のおみくじなどもあります。
御朱印
社務所にて直筆で御朱印いただけます。
本日の癒しの場所は花の窟神社でした。
神々の母伊弉冉尊の眠る場所、
太古からの祈りが感じられます。
気になる方はぜひ一度足を運んで体験してみてください。
気になった場所へ足を運ぶと心が満たされます。
新しい発見があることも☆彡
心に素直に、正直に動くこと
ちょっとした心の状態で
happyになります♪
あなたのhappyの種植えのきっかけに、お役に立てますように☆彡
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